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2019/6/6

黒田博樹に見る安芸門徒の教え

第三章 広島人はなぜ、グローバルな発想が得意なのか
安芸門徒の力、もしかして弥陀みだの力 中途半端な妥協は許さない

岩中祥史「広島の力」(青志社)より

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 安芸門徒は、教義の根本に反する習慣、行動は、それがすでに生活の一部に取り込まれていたとしても、排除しにかかる。宗祖・親鸞の、あるいは安芸門徒にとってはそれ以上に尊崇されていた蓮如れんにょの教えにどこまで忠実に従うか、それが自身の往生を決めるという考え方である。

 門松や虫送りはおこなわない、あるいは神棚はまつらないといった、純粋性を重んじる考え方は、日常生活の上にもしばしば顔を出してくる。たとえば、こんなことがあった。

 カープファンの多くが、ひとたびカープに籍を置いた選手は生涯、他の球団に移ってほしくないと思っている。早い話、面倒を見てくれた球団を裏切るなということだ。それでファンから強烈なブーイングにさらされたのが川口和久と江藤あきらである。

 川口は鳥取城北高校の出身。1980年のドラフトで広島カープから1位指名を受け、入団。在籍14年間で131勝(122敗)をあげ、最多奪三振を3度記録している。

 巨人キラーとしても知られ、対巨人戦33勝31敗を記録しているが、巨人から30勝以上あげた投手のうち勝ち越しているのは星野仙一、平松政次と川口の3人だけだ。その川口が1994年のシーズン終了後、FA(フリーエージェント)の権利を行使し(カープの選手としては初めて)、巨人に移ったのである。それまで勝ち越しを記録していた相手チーム(それも巨人!)に移ったのは、やはり人の道に外れてはいないかと、多くのファンは受け止めたのだろう。

 江藤も広島県出身ではない。1988年のドラフトでカープから5位指名を受けて入団し、カープ在籍中は本塁打王を2回、打点王のタイトルも1回獲得している。

 1999年のシーズン終了後、一時は横浜ベイスターズへの移籍が確実視されていたが、最終的には巨人に。当時背番号33をつけていた巨人監督の長嶋茂雄から、「33番を江藤君に譲り、僕は3番をつけます」として譲り受けたのは有名な話だ。

 川口も江藤も、巨人に移ってからは全盛期ほどの力がなかったため、カープファンの気持ちを逆撫でするようなプレーを見せたわけではないが、どちらも移籍が決まったときはブーイングの嵐であった。救いは広島県出身でなかったことで、二岡のときよりそのトーンも低かったように記憶している。

 そうした意味では、阪神に移った金本知憲や新井貴浩など、いずれも広島県出身なだけに、もっと反感を買っても不思議ではないように思える。これがもし巨人に移っていたとしたら、大変な事態になっていたのではないか。同じ西日本の阪神だからさほど大ごとにはならずに済んだのである。阪神に移った金本の活躍ににんまりしながらも、「カープにおったときもあのくらいしてくれとったらのー」とひそかに歯噛みしたファンは少なくないはずだ。

 広島というところは、大阪より東京に対する意識が強い。大学進学、就職にしても、大阪より東京のほうが人気もある。裏返して言うなら東京にはコンプレックスに似た気持ちを抱いているわけだが、プロ野球の場合、自身の生活を直接左右する分野でないだけに、それがもろに顔を出してしまうのだろう。

 郷土を裏切るといってはいささか大げさではあるが、これもやはり門徒流の思考スタイルのなせるわざと受け止めれば理解しやすい。

 だが、そうした形での後押しがカープの選手たちのメンタルを高めているのも間違いない。その好個の例が黒田博樹である。

 黒田は大阪府の出身で、上宮うえのみや高校から専修せんしゅう大学へ進む。黒田が4年生になった春から東都大学1部リーグに昇格し、1部リーグで通算6勝をあげた。1996年、ドラフト逆指名2位でカープに入団する。

 カープの大黒柱として、11シーズンで通算103勝(89敗)の成績を残した。その間、最多勝利を1回、最優秀防御率を1回、最優秀投手を1回獲得。とくに、メジャーに移る直前3シーズンは40勝26敗と、押しも押されもせぬエースだった。

 FA宣言をして他球団に移籍するのではとの情報が取り沙汰され始めた2006年のシーズン終盤、一部のカープファンが旧広島市民球場の外野席に巨大な横断幕を掲げたことがある。そこには大きな文字で「我々は共に闘って来た 今までもこれからも… 未来へ輝くその日まで君が涙を流すなら 君の涙になってやる Carpのエース 黒田博樹」と記されていた。そのシーズンの最終登板試合で、満員のファンが黒田の背番号15の赤いプラカードを掲げ球場を赤色に染め上げたのは有名なエピソードだ。結局、FA宣言はしつつもチーム残留を表明、翌シーズンはカープにとどまった。

 大リーグに移ったのは、翌2007年12月。08年から14年まで7シーズン、メジャー(ドジャース4年、ヤンキース3年)に在籍、79勝(79敗)をあげ、日本人投手で史上初めて5年連続2ケタ勝利、さらに日米の先発勝利数200勝(野茂英雄は199勝)を達成している。

 その黒田が、ヤンキースから高額の年俸(20億円前後)を提示されながらそれを断わり、「来季については、野球人として、たくさんの期間を熟考に費やしました。悩みぬいた末、野球人生の最後の決断として、プロ野球人生をスタートさせたカープで、もう一度プレーさせていただくことを決めました。今後も、また日々新たなチャレンジをしていきたいと思います」と語りながら、2015年から広島に復帰したのだ。

 これが男気≠ニしてカープファンの心を強烈につかんだ。しかし、それ以上にテンションが上がったのは選手たちだろう。しかも、15年が11勝8敗、16年も10勝8敗と2シーズン続けて2ケタ勝利をあげ、優勝にも大きく貢献している。

 1993年にFA制度が導入されて以来、川口、江藤、大竹かんが巨人、金本と新井が阪神に移籍、また黒田、高橋建がメジャーへ移るなどしているのに、FAで獲得した選手はゼロ。こんなチームは12球団の中でカープだけである。それだけに、報恩感謝の念に満ちた黒田の行動にはカープファンだけでなく、多くの日本人が喝采を送った。


岩中祥史(いわなか よしふみ)
 1950年11月26日生まれ。愛知県立明和高校から東京大学文学部に進み、卒業後は出版社に勤務。1984年より出版プロデユーサーとして活動するとともに執筆活動も。地域の風土と人々の気質との関係をテーマに、『名古屋学』『博多学』『札幌学』『鹿児島学』『新 不思議の国の信州人』『新 出身県でわかる人の性格』『名古屋の品格』『城下町の人間学』など著書多数。2011年の上梓した『広島学』はご当地広島の人たちをも驚かせる内容で、ベストセラーになった。


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