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2019/4/18

「中途半端」という言葉が辞書にない。

第二章 広島人はなぜ、ファミリー意識が強いのか
「仁義なき戦い」の力 “広島モンロー主義”を貫きたい

岩中祥史「広島の力」(青志社)より

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 なかでも印象に残るシーンがある。3作目『代理戦争』で、打本組(のち打本会)組長・打本昇(演じたのは加藤武)が巨大組織(神戸の明石組)の傘下に入ろうとしていることを、村岡組幹部の武田明(のちに山守組若頭わかがしらとなる。演じたのは小林旭)が広能に伝えるときの、「ここだけの話じゃがよ、親父さん(=山守組組長・山守義雄)、打本さんが明石組とさかずきしたことに内心怒っておられるのよ……。広島を神戸へ売り渡すようなもんじゃ言われてよ……」というセリフである。

 武田はまた、「広島には広島極道ごくどう性根しょうねいうもんがあるじゃけぇの。広島極道はイモかもしれんが、旅の風下に立ったことはいっぺんもないんで。神戸のもんいうたら猫一匹通さんけん、よう覚えとってくれい!」とも言う。

 村岡は、「広島のことは広島の者で」という広島モンロー主義≠変えようとしなかった。

 だが、それを貫くことがいよいよ許されなくなるのが4作目『頂上作戦』である。広能が山守組から破門されたことに端を発した広能組=打本会連合と山守組との抗争が、神戸の地で競い合う大組織・明石組と神和会の代理戦争の様相を帯びながら激化の一途をたどっていく模様が描かれる。

 村岡の後継者の地位を山守に奪われた打本は広能と提携し、明石組と盃を交わしてその傘下さん かに入り、広島での覇権を奪い返そうと図る。一方、村岡組を譲り受けた山守組は広島最大の組織となったものの、打本会を傘下に収めた明石組から広島を守ろうと、明石組と対抗し合う神和会と提携した。

 モンロー主義とは、アメリカがヨーロッパ諸国に対して、アメリカ大陸とヨーロッパ大陸間の相互不干渉(アメリカの問題はアメリカで、ヨーロッパの問題はヨーロッパで)を提唱したものだ。アメリカの第5代大統領ジェームズ・モンローが1823年、議会でおこなった年次教書演説で打ち上げて以来、第一次世界大戦にアメリカが参戦するまで貫かれた。世界のどこにでも顔を出す現在のアメリカを思うと、にわかに信じ難い考え方である。

 広島のヤクザも、村岡にかぎらず、本来はこれに似た考え方を基調に行動していた。広島にはよそ者を入れない、干渉されたくないという広島モンロー主義≠ナある。『仁義なき戦い』の1作目、2作目は、そうした枠組みの中での勢力争いを描いたものであった。

 それが許されなくなったのは、より大きな組織を作り上げたほうがすべてに効率よく進められるという、高度経済成長万能主義=大きいことはいいことだ的な発想をヤクザの組織も採り入れるようになったからだ。何をするにも――それが合法であれ非合法であれ――、狭い広島で完結させようとしているうちは成長・発展は望めないという考え方が、ヤクザたちを支配し始めたのである。

 ただ、思考・行動の枠組みが表面ではそういうふうに変化していったとしても、土台に埋め込まれている遺伝子、体を流れる血がそうそう簡単に変わるものではない。その端的な証拠が言葉である。

 広島県人はどこに行っても、生まれ育ってきた広島弁を引っ込めようとしない。変えようと思っても、ふとした瞬間に口をついて出てくるのが方言なのだ。東京の会社に就職したとなれば、社内で広島弁をしゃべることはできないから、どうしてもフラストレーションがたまる。

 それを少しでも解消しようと、広島県人は同県人どうしで集まろうとする。拙著『広島学』でも触れたように、東京のレストランやホテルで広島県出身者が集まっての会であることを思わせる張り紙や掲示をひんぱんに見かけるのはそのためだろう。

 といって、広島県人の発想自体がローカルに偏してるわけではない。グローバルという観点からすると、よほど幅広い考え方をするし、海外にも積極的に打って出ようとする。とくにビジネスの分野ではそれが顕著で、全国47都道府県のなかでも、そうした志向の強さはおそらくトップレベルを行っているのではないだろうか。

 そこには、広島モンロー主義≠貫けるところではそれで徹底したい、ただその中身は思いっ切りグローバルに――そんな気質が見て取れる。要するに、広島県人の辞書に「中途半端」という言葉はないということである。むしろ、そうした考え方・生き方を極端に嫌う。争うなら白黒がつくまで、自分たちで徹底的に争うということなのだろう。

 小気味いいといえば小気味いいのだが、それがしばしば周囲と摩擦を起こすことも予想される。だが、それすらがおかしなことと思わないのが広島県人なのだ。


岩中祥史(いわなか よしふみ)
 1950年11月26日生まれ。愛知県立明和高校から東京大学文学部に進み、卒業後は出版社に勤務。1984年より出版プロデユーサーとして活動するとともに執筆活動も。地域の風土と人々の気質との関係をテーマに、『名古屋学』『博多学』『札幌学』『鹿児島学』『新 不思議の国の信州人』『新 出身県でわかる人の性格』『名古屋の品格』『城下町の人間学』など著書多数。2011年の上梓した『広島学』はご当地広島の人たちをも驚かせる内容で、ベストセラーになった。


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